4月1日になり新年度。RODAでも新体制が敷かれ、STAFF間も実は配置転換が実行されました。
本来であれば新しい体制を店舗ごとに発表!
したいところなんですが、この状況の中、RODA新横浜店は営業を自粛しております。
(RODA川崎店は時間短縮で営業中 4/4(土)4/5(日)は臨時休業)皆様にはご迷惑をおかけし、大変申し訳ございませんがこの状況が少しでも良くなるために措置となりますのでご理解いただければ幸いです。
RODA川崎店に勤務しており、この状況で何が出来るだろうとSNS担当の谷口と話していました。
新しいSTAFFも入ったので、今一度RODAの歴史をご紹介しようかなと思います。
historia de RODA vol.1
2002年W杯
新横浜にある超有名サッカーショップでバイトをしていた鶴見。W杯が終わり、そのままそのショップに就職したかったのだが一旦、契約はそこで終了。
ドフリーターとなった鶴見は自由気ままに思いっきりフットサルにのめり込む。フリーター時代のバイトは夜の清掃業。
シフトは自由に決めれたので、フットサルをやるには最高の環境だった。
センター北にある日本で3番目に古く、個サル文化発祥の地となったフットサルクラブ横浜で夕方7時からの個サルに参加し、そのまま夜の仕事に行ったり、夜が空いているときは9時からチームで蹴ったり、ワンデー大会に出たり、そこで今でも付き合いのある多くのフットサル仲間と出会う。当時のチーム名は FCマンボウ 。
友人に当時P.S.T.C LONDOLINAに所属していた豊島 明がいて関東リーグをしょっちゅう観に行っていた。
LONDOLINAのパワープレー、CASCAVEL甲斐さんのボールタッチ、FUTUROのPIVOあて、、、更にさらにフットサルにハマっていくFCマンボウ。
やがて、小机に新しいフットサル場が出来たらしい。そしてワンデー大会を開催するらしいぞ。という事で乗り込み見事優勝。そこでチーム名をQuintetto(ポルトガル語で五重奏の意味)に改名し、ホームグラウンドを小机に移す。
この小机 (正式名称フットサルクラブ東京横浜国際コート)がヤバかった。豊島が夜9時からクリニックを開催したのだが横浜中のフットサラー達が集い、クリニック後のゲームに皆没頭。深夜2時まで普通に蹴っていた。そこで、誕生したのがLUZのミチオとソーシ、リン、豊島で出来上がったブランドLUZeSOMBRAだ。当時初めて作ったのはDalponteのロンT。
仲間たちに手売りしてその売り上げたお金で次回の作品を作るというgrassroots STYLE。
この小机フットサル真っ盛りの中、鶴見は日本初のフットサルショップに就職する。その当時、仲間が作ったLUZをお店に置きたかったがあまりにも小さかったLUZは置かれるはずもなかった。
世はフットサル全盛期の時代。
ある時、新横浜で当時働いていた社長が鶴見を誘った。
『フットサルショップ立ち上げるから来ないか?』
鶴見は即答。
そして、2006年2月24日 RODAは川崎の武蔵小杉にある 川崎フロンターレオフィシャルショップの中にSHOP in SHOPとして誕生した。
実は裏話で、川崎フロンターレが運営するフロンタウン川崎というフットサルコートのクラブハウスの中にお店が出来る予定だったが、諸事情により開店は断念。そこで急遽、武蔵小杉のお店に変更になったのだ。
自分の好きなフットサルブランドをセレクト出来る。
理想のフットサルショップを実現する事が出来る!!
いの一番に扱う事を決めたのはモチロン、友人がやっているブランドLUZeSOMBRAだ。
当時、フットサルと言えば、ATHLETAやSPAZIOが全盛期。特にATHLETAはフットサル界の王者だったが、まだまだ小さいRODAは取り扱うことが出来なかった。当時取り扱ったブランドは下記だった。。。
LUZeSOMBRA
JOGARBOLA
gol.
Dalponte
FINTA
売り場はたったの3スパン
これが当時のRODAの全てだ。
LUZを世の中に広めたい一心で、LUZを思いっきり注文したのだがこれがまた売れなかった。。。笑
知名度のあるgol.やJOGARBOLAが人気でそれを目掛けて、1日1人来るか来ないかのお客さんをひたすら待っていた。
開店と同時に楽天市場店も出していたのでそこではRODA取り扱い商品がポツリポツリと売れていて、買ってくれたお客さんの名前を必死で覚えようと顧客ノートみたいのも作ったりしていた。
お店にも徐々に、徐々にRODAアイテムを求めるお客さんが来るようになった。
武蔵小杉から歩いて10分。こんな所までわざわざ来てくれたのでタダで帰すわけにはいかない、必死にフットサルの話やLUZの紹介などを話し、RODAを知ってもらえるように精一杯頑張った。
そして少しづつ、LUZも売れるようになった!これは本当に嬉しかった。やっとRODAが認められたような感覚。
武蔵小杉で2年弱過ごし、、、2007年にはFリーグも開幕。ちなみにRODAに初めて来店してくれたFリーガーは先日引退したばかりの中島孝だった。あんなに小さいお店にFリーガーが来てくれた事が本当に嬉しかった。
そして取り扱いブランドも増えた。2006年に同じく創業したSVOLME。フロンターレの仕事も掛け持ちしていた鶴見がある日、フロンターレのグッズを新しく作るから見にこないかと行ったフロンターレの事務所で、このとき会ったのがSVOLMEの社長だった。SVOLMEっていうブランド作ったんで見てくださいよ。とリュックにパンパンに詰め込んだサンプルを持ってきてくれ、POPなティストがなかった当時のRODAに是非欲しいと取り扱いを決定。
当時のフロンターレの店長に言われた一言は今でも忘れない。
『絶対に売れないでしょ!』
結果は今のSVOLMEを知ってる方なら一目瞭然だろう。
フットサルシューズの王道Desporteも増やし、、、
RODAアイテムも人気が出始めたころ、、、
『新横浜に移転するぞ!』
移転先はなんとびっくり、マリノスのオフィシャルショップの中!笑
フロンターレの次はライバルのマリノスだった。。。
しかし面積は武蔵小杉の倍以上!15坪くらいあった?ここでRODAの新たな歴史が始まる。
当時湘南ベルマーレに所属していたリン(現アグレミーナ浜松)を店頭スタッフに招き入れ、イイ感じの時間を過ごした。
このころにはLUZが主力商品となりつつあり、普通に売れるようになっていた。
相変わらずのLUZ推しは変わらない。
そしてこの場所でLUZの伝説的イベント天下一蹴道会の前身になるようなイベントが開催された。
地元の仲間たちやフットサル好きが集まり、1on1のSTREET感あふれる音楽と共に蹴る熱いイベントだった。
LUZの夜明けである。
続く