フットサルを愛する皆様、こんにちは。RODAの鶴見です。
早くも7回目のブログ更新となりました!
えっ!?まだ15周年別注のデザインは見せないのか!?って!?まぁまぁ15周年というのは2021年が全て15周年になる訳なので、、、もう少しお話に付き合ってくださいよ。今年はこれから色々な事が待ち受けていますから。どうか気長にお待ちいただけると有難いです。
今回はというと、、今までずっとLUZ別注のお話をしてきましたが、、、LUZ以外の別注を紹介できればと思います!!
Vol,1の中で、RODAで初めて作ったLUZ別注と共にgol.と川崎フロンターレサポーター川崎華族さんとの別注も紹介しましたが、、、まだまだたくさん作ってます!!
私のクローゼットには皆さんと同じように大量のフットサルウェアがあります。ハッキリ言ってカオスです。
奥さんにモチロン、早く処分してと言われますが、それでも絶対に捨てれないモノも多数あります。
やはりRODAで初めて作った別注は何より大事です。2006年フットサル全盛期に創業したRODA。僕は前職が日本一のフットサルショップだったので、ハッキリ言って軽く見ていたかもしれません。【日本一のフットサルショップ】という看板が無くなった鶴見は【ただのフットサル好きな人】になったんです。
お店を始めるのはまず商品を仕入れなければいけません。僕の最優先は友人が作っていたLUZ。LUZの2人はもはや友人だったので関係性は出来ていたのでモチロン仕入れは出来ます。しかし、当時の人気絶頂ブランドと言えば、ATHLETA。ATHLETAが置いてないショップなんて無いくらいの人気ぶりでした。
仕入れには、直接メーカーと取引契約書を交わす「直取引」と、お店とメーカーの間に問屋さんを挟む「間接取引」があるんです。それぞれメリット・デメリットがあるんですが、当時Yスポーツという問屋さんと取引すれば、その頃に流通していた人気フットサルブランド(ATHLETA、Dalponte、Desporte、Spazio等々)は大体取り扱えたんです。だからYスポーツと先ずは契約する事がLUZの次にすべき事だったんですが、、、何の実績もないRODAはここでまさかの契約が出来ないという想定外の事態が起きるんです。。。
当時全くの無名だったLUZだけでの商売では歯が立たない。そこで個別に前職で仲の良かったブランドのgol.(ゴル)の社長さんに仕入れさせてくださいと相談に行きました。
gol.は前職から大好きなブランドでした。本物のFOOTBALL好きが作っていたという認識があります。モノづくりにも真摯で何より硬派で媚びていない感じ大好きでした。前職で働いていた時はなんせぼくは【日本一のフットサルショップ】の看板を背負った新入社員でした。そこで雑貨とチームオーダーを担当していた僕にgol.の社長さんは対等に?話してくれました。新入社員で雑貨とは言え発注権限もあり、チームオーダーともなれば大きいチームだと50万、100万ともなります。まだまだ若造だった僕は完全に調子に乗ったガキに映っていたことでしょう。
RODAというお店を作りましたので仕入れをお願いしたいです。golの事務所に出かけ、社長にお願いしました。そこにいたのは経営者としての社長。前職で対峙していた、ニコニコの社長ではなく、厳しい眼差しで本当にそのお店は売れて、支払いもしっかりできるのか?という厳しいお言葉を頂きながらも、何とか仕入れをさせてくれる事になりました。
正直このgol.との取引が無かったらRODAは一瞬で無くなっていたかもしれない。と思えるほどgol.には助けられました。gol.はFOOTBALL界に多くのファンが居て、川崎フロンターレの当時はまだ新人だった中村憲剛選手が実はgol.好きだったんですね。サッカーマガジンでプライベートウェアとしてgol.を着た写真がよく出ていました。
川崎フロンターレのオフィシャルショップ「アズーロ・ネロ」の中にあったRODA。一番に売れていったのはこのgol.だったんです。そして川崎華族さん別注が生まれ、華族さん以外のサポーターの方にも黒とフロンターレサックスのgol.ウェアをというところで誕生したのがこの別注Tシャツなんですね。
なんせお客さんの99%はフロンターレのお客さんなんで、フロンターレのお客さんと仲良くなって、ホームゲームの時は一番熱狂的なGゾーンの販売ブースに応援販売に行って、仕事半分観戦半分で僕もフロンターレ大好きになっていました。
本来gol.さんは別注は50枚以上じゃないと作らないよ。と言われていたんですが、、、これは30枚くらい作ってくれたんじゃないかな。1品番1色に30枚なんてRODAにとっては大博打もいいとこ。怖くて仕方がなかったんですが、、、販売してみればあっという間だったと思います。
創業当時のRODAを支えてくれたもう一つのブランドがJOGARBOLA(ジョガボーラ)。JOGARBOLAと言えば東京のイケてるFOOTBALLブランドの最高峰というイメージで東京感が凄く、おしゃれな店にしか卸さないと言われていたブランドです。
遊び心が半端なく、南米ティスト満載なグラフィックは本当に人気で、1枚6,000円とかするTシャツが凄く良く売れていました。取扱店舗が中々ないっていうのもその理由の一つで、恐らく神奈川ではRODAだけだったんじゃないでしょうか?当時の上司のツテで千駄ヶ谷のあのお店に行き、仕入れをお願いしたところこちらは意外とあっさりOKをもらい、仕入れが開始。
当時の担当者の方が同世代で凄くノリのイイ人で本当によくしてくれました。別注やらせてください!っていうお願いにも、いーよー!って感じでデザインもこちらで考えさせてもらって作ったのがこの別注です。
JOGARBOLAは当時「amador」とか「fiel」というラインがあって、それぞれのラインで色々なアイテムを出している中で僕が絶対に入れたかったロゴが背中一番下のfielです。当時プレデター(バルドラール浦安の前身チーム)の絶対的柱である市原誉昭選手が、プロデュースするラインがこのfielだったんです。言わばJOGARBOLAのフットサルラインともとれるこのfielを、フットサルショップとして絶対入れたかったんです。
これも本当に人気で何回か追加販売するほどだったと思います。
これがLUZ以外で作った初めての別注。この後、、、本当に多くのフットサルブランドが誕生し、RODAはそのほとんどと取引をする事になったと思います。そこからも多くの別注を作成していますが、、、この2枚の別注は墓まで持っていく大事なTシャツですね。
今週はここまで!また来週お楽しみにしていてくださいね!!!