RODA15th Special BLOG -Futuro de RODA- Vol.13

フットサルを愛する皆様、こんにちは。RODAの鶴見です。

メチャクチャ引っ張てるなーって思ってる方沢山居ますよね。。すいません。まだまだ話したい事が沢山ありまして、もう少しお付き合いくださればと思います。

今回は私、41歳鶴見ドンズバのお話し。シニアリーグについてです。

RODA川崎ラ チッタデッラ店がOPENして、川崎周辺のお客様と凄く仲良くなり、そんなお客様達と川崎店の目の前にあるAFP川崎さんのコートで楽しく蹴っていました。鶴見当時34歳。それは、毎日のように仕事帰りに寄ってくれるMさんから誘われたのがキッカケでした。

『鶴さん、今年で35歳になるでしょ?一緒にシニアリーグ出ない?』

22歳の時からこの仕事をしているので【リーグ】と呼ばれるものに参加した記憶は遥か昔、神奈川県三部リーグに参戦したぐらいです。しかも1試合くらいしか出なかったような気がします。Mさんに誘われ、どんなもんなのかなーと思い『練習参加します!』と返事し、競技チームのバリバリ現役選手が監督を務めるチームの練習に初めて参加しました。

そのチームは【 Lanzalea PADRE 】(ランツァーレ・パドレ)
(パドレ=スペイン語でお父さんとかおじさんの意味)

当時神奈川県リーグ所属(現関東リーグ1部所属)のLanzalea のシニアチームとして、選手である町田氏が立ち上げたのがランツァーレ・パドレ。僕のカメラアルバムに残っている一番古い写真。これが初期メンバーだったと思います。半分以上は既に知っているお客さん達。サッカー経験者もいれば大人になってから蹴った人もいたりと、年齢も35歳から48歳までと幅広く、かなり和やかなムードの感じかと思いきや、、、、

やはり競技チームのバリバリ現役選手の監督!モロに理論的でフットサル戦術を叩き込んだ練習だった。

自分が22歳くらいの若い頃は正解のない議論の中、チーム内であーでもないこーでもないと、PIVO当て、パス回しのエイト、エル、なんて形ばっかりやってフリーでやってきた13年。。。初めて【正解】を教えてくれるチーム戦術を教え込まれました。正解というと語弊があるかもしれません。あくまでも監督は、「点をとりに行くスポーツという前提での最速でゴールに結びつけるためのチーム戦術」という意味での最適解といったほうがいいでしょう。

とは言っても、初めに徹底的に叩き込まれたのは守備。初めの1年間は本当に守備のみで、パス回しなんか教えてもらえず攻撃は自由でした。仕事の関係上、第1回シニアリーグは1試合しか参戦できませんした。練習は行けていたが試合に行けず。

第1回シニアリーグの結果は3位でした。。。

サッカー経験者多数の他のチームのほうが個人技で勝り、PADREは勝つことが出来ませんでした。

しかし、みんな練習に励み、徐々に徐々に戦術が浸透し、チームとして連動していく実感が出だした第2回シニアリーグ。練習してきた守備でドンドンボールを奪取することが出来、試合に勝てるようになりました。

そして結果は優勝!(ここからPADREはAとBにチームが分かれAが優勝)

これは本当に嬉しかった!!今まで勝てなかった相手に勝てるようになった!個人では負けるけどチームでは勝てる。本当に嬉しい瞬間であり、フットサルへの理解も愛も更に深まった瞬間でもありました。

自分はPADRE Bチームで3位でしたが、この時の最終節の5‐4での逆転勝ちの勝利は今でも鮮明に覚えている試合。興奮状態になり、面白い!いつまでも辞めたくない魂が籠った試合でした。

公式戦でもない、たかだか横浜の片隅でやっていた私設リーグであるシニアリーグ。ここから大きく盛り上がりを見せていく事に。

次回へと続く

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