historia de RODA vol.9
川崎店もOPENし、新横浜店舗の実店舗、ECと目まぐるしくもお陰様で忙しい毎日を送っていた。
勝と同じタイミングで
EC制作担当の 君島 佑 も入団している。(ファミリーセール時のガラガラ抽選担当のあのお兄さんだ。)
当然、出会いもあれば別れもある。当初からいた 王子、ネモは退社。その他にも2人退社している。
今のRODAがあるのもそんな彼らが頑張ってくれた上で成り立っている。感謝しかない。
そしてこの男が入社
豊島 明
湘南ベルマーレフットサルクラブの10番が入社。RODA入社時はRODAでフットサルクリニックと店頭に立つという体制だった。
このタイミングでRODA新横浜店はリニューアルをすることになる。現LUZ culture shop の内装の原型がここで出来上がる。
そしてLUZ culture shopを設立しようと決まった。ここで運命的にも 隣のビルの1階が空いたのだ。そこにRODAを移転しようと決まる。
ウチの会社は物件の巡りあわせがかなりイイ。
かくして新横浜にあるRODAは隣に引っ越した!!
店長は鈴木マスター
呉井とヤスコという布陣。
実はこのタイミングではRODAは新横浜店は2つ存在していた。社内的には元からあるほうをRODA新横浜1号店、新しいほうを2号店と名付けていた。
2号店のコンセプトは GEAR だ。それは今でも変わらず、フットサルをPLAYするためのギアアイテムをメインに品揃えしている。ここでシューズマスター鈴木の修業を受けた呉井は2代目シューズマスターから更に シューズ仙人 という称号まで得ている。
1号店はLUZ culture shopが出来る2015年2月までRODAとして稼働していた。
この時点ではLUZeSOMBRAの名も全国区になっており、RODAの柱ブランドでもあった。ある程度、RODAの名前も知れ渡っている。
2006年の創業から9年目のことだ。
そして彼らの登場だ。
言わばRODA 第三世代。。。。