historia de RODA vol.13

自分のことをこんなに話すのは初めてかもしれないです。

私、リューヤです。

静岡の緑に溢れた土地で育ち、中学はサッカー部に所属し、高校はサッカー強豪校に入学。

ただその高校にはフットサル部がなく、地元のフットサルコート(当時S futと呼ばれるコート)で、コサルという存在を知り、のめり込む。

とにかく足しげく通った。

そのコサルに1人、圧倒的な”カリスマ性の溢れるおっちゃん”がいた。

高1のときは、svolmeを着ているのすら珍しい環境だった。
だが、そのおっちゃんだけは「ナゾのブランド」を着用していた。

「シンプルなのに、洗練されている。。でもなんて読むんだ?このロゴ」
高校生ながらにそのデザイン性に衝撃が走った。。

そう、それがLUZeSOMBRAとの出会い。

10年前のそのシーンは、今でも忘れない。

家に帰ってすぐ調べた。
「かっけえな~でもすげータケーじゃん。。」
当時は地元に取り扱いもなく、手に入れることができなかった。

そして時が立って、神奈川の大学に入学し、そこで人生初めて「競技フットサル」に触れる。

当時所属していた大学チームに、FENIX横浜にも所属していた先輩がおり、LUZを着ていたのですぐさま「そのブランドを置いている店ないっすか!?」と教えてもらったのがRODAだった。

「こんなにLUZの商品があるのか。。」当時は感動だった。
初めて実物を見れたのだから。

そして、初めて買ったアイテムは、「ピステショートパンツ」

そう、おっちゃんが着ていたアイテム。
穴が開くほど履いた思い出の1着だ。

ある時、知り合いに誘ってもらって参加したコサルである人との出逢いがあった。

トヨさん(豊島明 アグレミーナ浜松前監督)が主催していたゲーム会。参加者の人たちが上手かったのを鮮明に覚えている。

その中で、ひと際目立つロン毛の男性がいた。

それがLUZのクリエイティブディレクター、ソーシさんだった。

帰り際に、「LUZ好きなの?ちょっと待ってて」

そう言って渡してくれたのが、

LUZの【LiFE AS A JOURNEY】というLUZカルチャーシーンを伝えるマガジン。

そこでLUZの表現する世界観を知った。

いま思うと、これがターニングポイントだったのかもしれません。

時は立ち、大学4年になって就活が始まり、周りは公務員志望ばかり、、
自分も無事内定を貰い、既にその会社へ勤めることを決めていた。

ただ、本当にふとした時にRODAのことがよぎり、知り合いの方にお願いして、面接まで繋げていただいた。
フットサルを通した仕事を、諦めきれていない自分がいた。

面接を受けて、話を聞いたり、今までの出来事を思い出し、「RODAで働きたい」と決意。

内定先を断って、RODAに入社させていただいた。

店舗に立つことやイベントを開催するなかで、フットサルを通じて色んな人と繋がれる。

好きなことを仕事にできている。

様々な方に支えていただき今があります。感謝。

keep digginするのみ。

続く…

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